いま、このばしょ。
くたびれたおとこはそらをみあげ、
「いっそすべてがなくなればいい」
とねがう。
いきるいみ、いきるかち、もはやおとこにはみいだせない。
「おいで、おいで・・・」
せんろからよびごえがきこえる。
ふらふらとちかづき、そのまましたへおりようとする。
・・・おとこがわれにかえったのはでんしゃのけいてきのせい。
あとすこしでらくになれたかもしれなかったのに。。。
おとこはあるく。
うえをむいてなんてあるけない。
なみだはこぼれないけど、したをむいてあるいていたら
なんだかだいじなものがどんどんおちていってるきがした。
どんなときでもおなかはへるもんだ。
こんびにへむけ、えきからのみちをとぼとぼあるくおとこ。
さきにみえるしんごうはあかだ。
・・・またきこえる。
どうろのはんたいがわからだ。
「・・・おいで、おいで」
あぁ、きみたちはさびしいんだね。
でも、ざんねんながらなかまにはなれないよ。
ぼくのようなさいていなやつがなかまになったってなんにもたのしくないよ。
むしろめいわくをかける。
やめておいたほうがいい。。。
おとこはひとりになりたかった。
だれもいない、だれにもじゃまされず、だれもおとこをきずつけないせかいにいきたかった。
なので、そのさびしがりやたちのきたいにこたえることはできなかった。
「あしたすべてがなくなればいい」
すべてがなくなってしまえばおとこののぞむやすらぎはおとずれるのだろうか?
それはそうなってみないとわからない。
ただ、もしねがいがかなったなら、もうやりなおしができないのはたしか。
それでもねがう。
「あしたすべてがなくなればいい」
・・・いや、むしろおとこがなくなればいいのか。。。